岡田有希子が自殺した1986年4月、世の中では何が起きていたのか【宝泉薫】
まず、彼女が身を置いた芸能界はというと、おニャン子クラブが一世を風靡していた。オリコンのシングルチャートでは全52週のうち3分の2を超える36週の第1位がおニャン子関連。3月末から5月中旬にかけては、河合その子、ニャンギラス、新田恵利、おニャン子クラブ、うしろゆびさされ組、国生さゆりという顔ぶれで8週連続だ。
2月には岡田の生前最後のシングル「くちびるNetwork」が1位に輝いたが、同じ週に初登場した国生の「バレンタイン・キッス」のほうが全般的に売れている印象もあった。これについては「ポスト松田聖子」として期待されていた岡田の格を高め、勢いをつけるため、彼女の陣営が買い支えをやったのではともいわれている。オリコンのデータに反映される店で大量買いすることで、順位を上げる工作のことだ。
なお、彼女の事務所の先輩にあたる松田聖子はこのとき、活動休止中。前年、神田正輝と最初の結婚をして、子作りに取りかかり、この時点ですでに娘を身ごもっていた。
岡田が自殺した翌日には、会見を開いて妊娠を公表。前年の婚約発表から丸一年という節目だったが、事務所としては「ポスト聖子」と呼ばれた岡田の死の衝撃をわずかでもかき消せるという効果も期待していたかもしれない。
この「娘」がのちの神田沙也加だ。ある意味、正真正銘の「ポスト聖子」だった沙也加もまた、2021年にホテルの高層階から身を投げ、自ら命を絶つことになる。
それにしても、ソロアイドルとして史上最高の存在というべき松田聖子の休業中に、おニャン子ブームが吹き荒れ、また、岡田有希子が非業の死を遂げたことは何やら象徴的だ。やがて、おニャン子に触発されたつんく♂がモーニング娘。を作り、おニャン子のスタッフでもあった秋元康がAKB48や乃木坂46などを手がけていくことを思えば、グループアイドルの時代が訪れることを予告していたかのようでもある。